コンセプト

“ いのりとは何か、考える „

いのりってなんだろう…。
神社にお参りに行く、いただきますと手を合わせる、お墓参りをする。
でも、「いのりのかたち」って本当にそれだけ?
自分にとって、いのりとは。あなたにとって、いのりとは。
自分たちがいのりを考えるきっかけとなった「いのりのかたちプロジェクト」。
その追体験を展示を通して、訪れた人に届けたい。
そんな想いで私たちはこの作品を作りました。

  展示の様子

私たちは2021年1月12日に「像-カタチ-のいのり展」を開きました。この展示は「いのりとは何か、考える」コンセプトのもと開催し、当日はwowの方々と本学の学生、先生方を招き、展示を楽しんでいただきました。
展示は私たちが設計した「いのりを考えるプロセス」を体験してもらう構成になっています。展示内では、はじめにコンセプトなどを記したプレゼンボードを読むことで体験の構成を理解していただきます。続いて、2つに分かれたスクリーンに投影された映像を鑑賞していただきます。左のスクリーンに映る映像には、祈りだと思う事象のタイトルと映像がまとめられています。私たちがどう祈りを考えたのかが来場者に伝わるように、タイトルと祈りの事象についての説明が記された紙を左のスクリーン横に配置しました。一方、右のスクリーンではタイトルや説明による補足を行わず、私たちがどのような祈りを表現したのかを鑑賞者に考えてもらうという流れを作りました。

  いのりを考えるプロセス

展示の構成として、体験のプロセスを制作しました。私たちが演習で経験した「いのりを考える流れ」を作品の来場者に体験してもらうためのプロセスです。このプロセスに沿って、私たちの作品は作られています。

演習で学んだ「いのり」

作品で伝えたい「いのり」

  映像作品

展示では2台のプロジェクターを設置し2つの映像を投影しました。私たちが考えた祈りを知ってもらうことを目的に、1つ目の映像は祈りの事象とタイトルで構成しました。2つ目の映像ではどんな祈りを表現しているのかを考えてもらうために、タイトルが無く事象のみが並んだ映像を投影しました。

  私たちが映像に込めた「いのり」

  展示を見た人の「いのり」

こちらは私たちの展示に足を運んでくれた方々のいのりのかたちです。
自分のいのりを共有し、他の人のいのりに触れてもらう機会として設定しました。

  制作の想い

祈りとは何かという問いに対し、私たちはグループ全体で1つの答えを出そうと話し合いを重ねてきました。しかし、何度も議論するうちにその答えは1つには定められないという事に気が付きました。祈りの捉え方が人それぞれ異なるからです。ある事象を祈りだと思う人もいればそう思わない人もいました。そこで私たちはこの気づきを大切にし、祈りの多様性を作品で表現することにしました。私たちの作品を通して様々ないのりのかたちに触れることで、見る人にとって祈りだと思う事、そうは思えないこと、祈りとは何なのか、どういった意味があるのかということを考えるきっかけを与えられたらと思い、制作しました。

なぜ展示なのか

演習を通していのりを考えてきた時間が有意義な体験であったことから、私たちは体験を贈る”場”の制作をしたいと考えました。展示というその場限りの形にすることで、二度と体験することのできない作品になったと思います。その再現性の無さが作品の余韻となり、展示後にも来場者の想像をかき立てると考えました。作品の余韻が「いのりを考えるプロセス」をより持続的にし、来場者に繰り返しいのりを考える機会を与えることができたのではないでしょうか。

なぜ映像なのか

私たちは、作品の来場者にいのりを考える場を与えたかったため、言葉でいのりを説明してしまいたくありませんでした。言葉による表現は想像力を制限し「いのりとは何か、考える」ことを促せないと考察し、映像による表現を試みました。映像作品とすることで、言葉による表現では起き得ない流動的な考えを誘発できたのではないでしょうか。

私たちが考えていた「いのり」

いのりのかたちプロジェクトが始まってから週に1度、メンバー全員が編集後記を書いていました。「いのりとは何か、考える」という難解な問いに向き合い続けた私たちだからこそ気が付けたことが多くありました。編集後記に残された様々ないのりにまつわる気付きを一部抜粋し紹介します。

  メンバー

「いのりとは何か」半年かけて考えたのはおそらく初めての経験であった。人を想ういのり、自分を想ういのり、対外的な繁栄や成長を想ういのり。種類は違うけれど、「いのりのかたち」は違うけれど、そのどれもが「良くなること」を想うものだと感じた。人それぞれ「いのりのかたち」は異なるが、「いのりのおもい」は変わらない。そんなことを学べた演習だった。

葛西伊織
時々しか意識しない祈りというものに対して考える良い機会に恵まれたこの演習に感謝している。間に合うのかと不安に思うほど白熱した私たちの議論は今思えば良い思い出に感じるものなのかもしれない。だが制作時間を押し潰すような「議論」はクリエイターとして二度と御免である。
小関克也
このプロジェクトが始まるまで祈りについて深く考える機会はありませんでした。制作を終えて、祈りとは何かという問いに自分なりの答えを出せたと思います。制作しながら他者のいのりのかたちに触れるうちに、自分の中のいのりのかたちが変化していくことがありました。そのかたちは今後も変わっていくかもしれませんが、自分にとっての祈りをこれからも大切にしていければと思います。
相樂菜摘
この演習の作品でいのりのかたちがそれぞれだという考えにたどり着けたことが私の中でとても良かった。そして、私のいのりについて話したいと思った。私にとって、いのりとは継続的にずっと心の中にある、或るひとつの気持ちだ。願いと祈りの明確な違いは無いと自分の中で気づいた時、ひとつだけこの願いを自分の祈りとしようと決めた。自分が神社やお墓に行った時に必ずお願いする言葉である。時代によって、土地によって、個人によって異なる、人が持ついちばん強い願いがいのりになるのではないかと私は思う。
玉手柚衣
今までの制作を思い浮かべても今回はかなり異質で、その分面白いものだった。このプロジェクトの意義として一番大きかったのは、“解答”がないどころか“回答”すらも難しい「いのり」というテーマについて、必死に議論し言語化し、作品として形にできたことだと思う。私たちの命題であった「いのりの多様さ」は、制作にあたり私たち自身が触れてきたことだが、この作品を通じて皆さんにも同じように触れてもらえたらなと考えている。自分の「いのり」を感じ、他者の「いのり」を知り、そして自分だけの「いのり」をかたち作ってほしい。
千葉海勇音
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