縄文時代の初め頃、人々は野生の動物を狩り、自然に実ったものを集めて生活していました。この時代から、海岸に流れ着いた鯨や岩に乗り上げた鯨を捕えて食べることがありました。
縄文時代中期、人々が集落をつくって生活するようになると、自然に流れてきた鯨を捕るだけでなく、舟で海に出て鯨を捕るようになりました。
この時代の人々は、主に魚から動物性のたんぱく質を取り入れていました。当時は鯨も海の幸として魚と同類としてみなされていたので、貴重な食材として取り扱われていました。
また、その大きさや物珍しさから、特別な食材として天皇に献上されたという記録も残っています。
技術が発達するにつれて、鯨もまた活躍の場を広げていきました。
新しく効率的な漁法が編み出されたことにより、鯨の漁獲量が大幅に増加しました。権力者のみに食べられていた鯨でしたが、庶民の食卓にも並ぶようになりました。
さらに鯨は食べ物としてだけでなく、様々なかたちに姿を変えて、人々に親しまれていきました。
日本はIWC(国際捕鯨委員会)に加盟し、戦時中に停止していた商業捕鯨を再開しました。戦後の深刻な食料不足の中、鯨肉は全国に配給され、国民の栄養状態を改善しました。 その後、IWCで反捕鯨の意見が強まったため、日本も商業捕鯨を一時中断することを余儀なくされました。
現在、日本では商業捕鯨が再開されています。捕鯨が行われている地域では捕鯨や鯨にまつわる祭が開催されています。
人と鯨のかかわりを、時代を追って見てきました。
人と鯨のかかわりを知ることはできましたか。
いのりをかたちにすることは難しいことではありません。
ここまで読んだこと、見たこと自体が一つの供養になっています。
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人は身近な存在であった鯨にいのりを込めていました。
日常には様々ないのりがあり、周りにあるいのりに気づけるかもしれません。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
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人と鯨は古くからの繋がりがあります。
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