いのりとは何か?

祈りは太古の昔から、様々な時代、様々な場所で行われてきました。芸能、 工芸、祭り、絵画、風習、食事、音楽、建築..「祈り」は形を得ることで、 多くの人に共有される大きな願いとなりました。それにはその地域で特徴的 なものも、時と場所を越えて共通性を持ったものもあります。

そして現代、 私たちは様々な技術、材料、情報を駆使して多様な表現が可能になりまし た。様々な情報、主張が氾濫する今私たちは、現代の視点で連綿と続く「祈 り」の行為を再解釈しようと考えました。私たちは今、どのような形で、どのような「願い」を共有することができるでしょうか。

WOWプロジェクト序文より引用

演習概要

WOW×宮城大学デザインスタディセンターによる連携教育プロジェクト。WOWから投げかけられた「いのり」をキーワードに、東北を民俗学的な視点で見つめ直し、身近にありながらも見落としてきた様々な事象に「物語」という新しい姿を与えます。

多様な領域から外部講師を招き、レクチャーやワークショップを通じながら、オンライン時代ならではの取材や情報収集を実施。その結果をメディアデザインを通じて、作品へと昇華させます。

作品は宮城大学デザイン研究棟1Fオープンスタディにて展示予定し、これから続いていく長篇「いのりのかたち」プロジェクトの一遍となることでしょう。

担当教員

宮城大学/茅原拓朗、鹿野護

非常勤講師・ゲスト講師

ワウ株式会社WOWLAB
宮城大学/三好俊文(基盤教育学群)、 金内 誠(食産業学群)
東京大学/田口康大(みなとラボ
ペトラ/福原悠介(映像作家)
ささらプロダクション/由井英(映画監督)、小倉美恵子(プロデューサー)

関連リンク

本日の編集後記から

学生たちによる「本日の編集後記」は、その日の演習で感じたことを綴ったエッセイ。履修学生25名による毎週の編集後記はレポートとは異なるより感覚的な言葉が印象的です。そんな本日の編集後記から教員が数篇をピックアップして公開しています。

10/13「身近にある深淵」

板碑に供養など意味が込められているなどという話を聞き、自分の祖母の家のすぐ近くに石碑みたいなのが何個もあることを思い出す。その石碑は何の意味があるのだろう(佐藤勝太)

発酵食品の話が始まった時、「これ、祈りとどう関係するんだ??」という疑問が沸き上がってきた。しかし話が進むにつれて、米と信仰の関わりが見えてきて夢中で聞き入ってしまった。食品と祈りは全く別ジャンルだし結びつかないだろうと勝手に思い込んでいたのだ(相樂菜摘)

留学先で出会ったヨーロッパ出身の学生に、日本特有の「八百万の神」の考え方を話そうと思ったのだが、その概念の存在しない文化圏の人に説明することは至難の業であった。彼女は、「神社に行ったら何に対して祈るのか?」と質問してきたのだが、日本の信仰の特徴を説明することは本当に難しい。(関春乃)

「米は神」。非常に興味深い内容だった。私たちが普段食べている主食を神とするという発想が私にはなかった。いわゆるゾロアスター教のように火を神聖視するといったようなことであれば理解できるのだが、食物を神に据えて、あまつさえそれを食べてしまうというのは神に対してそれでいいのかという気さえしてくる(菊地亮太)

まさか授業中に先生が「刀剣乱舞」を調べる日が来るとは誰が想像できただろうか。実は彼らは刀であり刀ではない。刀に宿る付喪神が「刀剣男士」として人間の形をもって顕現したという設定なのだ。つまり、あのシャープな男性たちは神様なのである。(櫻井緋里)

「返杯」という言葉自体が廃れてしまったし、言葉を知っている人も相手の杯に酒をつぎ返すことと理解している場合が多いと思うが、本来返杯とは自分が使った杯に酒をついで相手に返すことであった。また、様々な集団で血縁的な関係を取り結ぶ際のイニシエーションとして「回し飲み(ひとつの器から酒を分かち合う)」が行われるのもまた同じことである。(茅原拓朗)

スサノヲから連想して一つ。Love So Sweetでおなじみの嵐には、「心の空」という曲があります。その中での櫻井翔氏の作詞ラップに”風よけさえも蹴散らしてしまう暴風……それを君たちは知ってるでしょ?”っていうのがある。つまり嵐。彼は他の曲にも日本神話をちょいちょい入れてきて、さらに韻を踏んで纏めてきます。かっこよ。日本神話を知らないからそれが読み解けないなんてもったいない。(小野永莉子)

10/06「いのりを問うために」

今日、一番興味がわいたのは、祈る時に手を合わせる行為について。簡単に調べた結果としては、仏教を通じて持ち込まれたと考えられている「合掌」から来ているという。日本に来てから、食事の前やお願い事をするときにも用いられるようになった。(玉手柚衣)

伝承、伝説といわれると何となく身構えてしまうので、昔話という単語を差し込んでみました。地域限定のちょっとした話でもいいよ、ということが伝わるといいですね。(大木海裕)

私が気になってしまったのが、「参拝」と「参詣」の違い。結論から。「参拝」が「拝むこと=祈る行為(pray)」を含んでいるのに対し、「参詣」は「まいる+もうでる=Go+Go」と「移動」を強調したものである。(小関克也)

「結構」とか「かなり」とか「まあまあ」とか頻度を表す言葉はたくさんあるけれど、それっていったいどのくらいなのだろうか?抽象的な言葉だから人それぞれ解釈が違っていて、今日も何度か議論になった。日本語って難しい、、、本当に、、(相樂菜摘)

質問紙の回答形式で選択式をclosed-end、記述式(自由回答)をopen-endと呼ぶ。そう、「分からない」は開かれている(選択肢を構成するための事前知識がないときに記述式にするんだったよね)。人にぶつけたってかまわないほどに(そこはお互いさまなのだ)。だけど、「分からない」を人にぶつけることはまあ甘えさせてもらうことでもあるので、そこはそれなりの礼節というか必要なプロトコルはある。まあそういうことだ。お正月をうつそう。フ○カラーでうつそう。・・・あ、ちがった。「分からない」をひらこう。「分からない」でひらこう。(茅原拓朗)

9/29「いのりのかたちとは」

コンタクトが驚くほど乾くのですがどうしたらよいのでしょうか。冬に入ると更に空気が乾燥するので、自分の顔面専用の加湿器を講義に持参するか顔面に霧吹きをかけながら受講するか検討中です。神様、どうかコンタクトが乾きませんように。(小野永莉子)

私はよく祈る。「信号全部青に変われ…」とか、「明日7時に起きれますように…」とか。だから、「皆さんは何に対して祈っていますか?」と問われたとき、その答えがすぐに浮かばなくて驚いた。日々些細なことを勝手ながら祈っているのにも関わらず、その対象がカミとかご先祖でなく、「なにか」なのだ。これはとても興味深いと思った。(関春乃)

年末は毎年実家に帰り、大晦日は家族と過ごして、0時を過ぎてから近所の小さな神社まで歩いて初詣に行く。いつも21時くらいには静まり返る田舎町だが、年明けのこの日はこんな夜中でも近所の老人が集まり、火を囲みながら新年の挨拶を交わしているのが新鮮で面白いと思う。(成田有希乃)

人間の成長は不連続な「生まれ変わり」のようなプロセスをたどる、ということが科学的にも分かっていて、信じられないと思ったあなたは「自転車に乗れるようになる前の自分」や「言葉がしゃべれる前の自分」の感覚をリアルにとり戻せるか試してみるとよいのだが(絶対できない)、要するに、何かが出来るようになった自分とその前の自分は全く違う人間なのである。(茅原拓朗)

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